行事・活動・読物
居合の道 1.居合の道ということ 2.何故、居合をしているのか
1.居合の道ということ
しばしば引用される俳聖松尾芭蕉の有名な捨て台詞があります。
《古人の跡をもとめず 古人のもとめたる所をもとめよ》(松尾芭蕉「柴門の辞」『風俗文選』)
先師先人の成し遂げた遺業の結果・形骸(ぬけがら)を追い求め真似するのではなく、何を成そうとしていたのか、何を求めていたのかという、その理想としたところ、その志・精神を学べ、ということでしょうか。
居合を学ぶには、開祖・流祖以来の歴代宗家の工夫・研鑽の賜物であるところの、所属する流儀の掟、業前の有り方(形ではない)を正確に修得・練磨し、流派の正しい掟・業に精通しなければなりません。しかしながら、それは武術修業の最終目標・到達点ではありません。
武術の修練とは、先師先達からの「武技」の提供であり伝授継承ですが、先師先達から継承されるその武術の真諦とは、既にそこにある極意ではなく、極意への通路であり、接近の仕方、極意への光の当て方なのです。絶対的な、究極的な一つの極意が今そこにあるのではなく、種々様々な先師先人の武技・武術の延長線上に(参考にして)、自分なりの武技・武術への光の当て方を見出さなければなりません。
武術に於ける武技の継承は、極意へ至る道程の通過点、極意への正しい見通しをつける為に必ず通らねばならない、極意へ至る通路の道標なのです。
そして、それが道標であることに気付くことが出来るほどの者ならば、その単なる道標に過ぎないものを通過することが、実は如何に困難なことであるかは、痛いほど分かることでしょう。
追記
蛇足ですが、道場主心の一首
〈居合とは壁に向かいて太刀抜きて
敵にもあらぬ影に物言う 聞霜〉
刀を介しての自己との対話=己亊究明、それが稽古です。
“我が行く手を遮るのもの、何物(者)をも一刀両断にして通る”のが
居合の精神です。“何者をも”とは存在するもの全てのことですから、
当然神仏も含まれます。しかし、神や仏が我が眼前に現れるはずが
ありません。もしそれが出現したら、それは自己が作り出した幻影
に過ぎないのです。それを迷いと言うのです。芭蕉の言う、古人の
跡です。だからこそ、鬼神といえども、例え仏菩薩であろうとも斬って
捨てるのです。その場に“居”て、古人の抜け殻を切り捨てて、自己
と向き“合”う、刀による会話、それが、“居合”です。
2.何故、居合をしているのか
私の場合は、いわゆる「居合道」の発生と変遷、それを先導して来た先師・先人達の存在が大きな鍵となっているのです。武士の世ではない現代社会に於いて、居合の術技を修錬する事の意義について思いを巡らす時、そこには常に、先人達の賑やかな存在があります。
とりわけ、偶然と幸運に恵まれ、無双直伝英信流正統第二十代宗家河野百錬名人の著作ほぼ全てと若干の動画資料を入手しました。今振り返ってみれば、ずいぶん長い間、河野宗家と付き合って来たように思いますが、私の窓辺にはいつも河野宗家がいました。もちろん、河野宗家だけを研究して来た訳ではありませんが、「生きていて流動発展する居合」(居合は、保存芸能ではない)について考える時、私の身近な所には、常に河野宗家がいてくれたのです。
それは、河野宗家が、無双直伝英信流正統第二十代宗家だからではなく、河野百錬という高峰を目の前にして立ち竦む思いでいたのです。河野宗家が説き、実践した英信流居合の前で逡巡する思いを繰り返していた、その思いは今も払拭出来ていません。
河野宗家の写真や動画資料を見ていると、不断の努力と精進は、個人を超えるものだという思いを強くします。現在の英信流居合の流れの中で、抜きん出て個性的な、時には「河野居合」とも称されることのある河野宗家の居合の術技や理念が具体的にどういうものであるのかということではなく、「居合」とはこういうものであるのか、という感慨を瞬時にもたらすからです。
ほんの一挙動を見ただけで、それが「河野宗家の居合」だとわかります。そして、そこには、実は、「居合」とはこういうものであり、一切の形容詞が付かない「居合」そのものが開示されていることに気付きます。言い換えれば、河野宗家個人の居合ではあるが、一個人や一流派に帰することが出来ない普遍的な「居合の骨法」(居合術は闘いの術です)とでもいうべきものに則っているのです。
「河野宗家の居合」はその際立った個性の骨格と輪郭を明らかに保ちながらも、「居合の淵源」に向かって無限に開放され、時間と空間を越えて我々の希求に応えてくれるのです。私は、河野宗家の著書を読み、動画や写真をみて感じ取ったことを、刀を使って日々空間に刻んでいるだけなのです。河野宗家の恩恵に助けられ、多くの示唆を受けながら、私はその前に虚心に佇んでいるだけなのです。
河野宗家から、一個の「私」のみならず、無数の「私」へと通ずる道を見つけようとしているに過ぎません。私は、河野宗家の営為の跡を辿りながら、「時の歩みの中」と「時の流れの外」に広がる永遠の深淵の縁の間を行き来しているのです。生きていた河野宗家は、既にその姿を歴史の闇の中に没してしまい、今ではその河野宗家の残した文字や映像のみが、それを読み見る人に応じて、それぞれに、形容詞の付かない「居合」そのものの意味を伝えてくれているのです。
私にとっての居合の修錬とは、私が受け止めた「形容詞が付かない『居合』そのものの意味」の解読作業であるのです。
私の稽古場から、人の生を超越した時間の中で、名人河野百錬宗家の刀を一振りする姿が見えなくなることはありません。