行事・活動・読物
もう一人の私がいる 1.あなたはそう思いませんか 2.道はどこにあるのか
1.あなたはそう思いませんか
〈日は沈み鳥はねぐらにかへれども
ひとはかへらぬ修羅の旅〉
(宮澤賢治作[大菩薩峠の歌]『新校本宮澤賢治全集』より)
これは、宮澤賢治の詩の一節です。
武道とは、敵との戦闘のために、過酷な肉体的鍛錬と厳しい精神的修業の果てに、敵と我との命を的とする非情の事柄であり、決して心優しい精神修養などではありません。
武術の修錬に於ける自分自身の心との対決は、武技の鍛錬と不可分に結びついたものであり、敵と争闘せんとするに際しての、生死を賭けた敵との対決の本質、その最も深い根源、人間存在の根源的深部を、動揺常なき心身を以て究尽する事にあるのです。
しかし、死は経験出来ません。あらゆる経験の中で、死のみが、生きている限り予め経験できません。本来的に認識不能の死。その、〈経験不可能な経験の経験〉の中に、生と死の狭間で、生と死の臨界点を生き続けなければならない、それが武道の修業ということなのです。
生と死の、見えるものと見えないものの境界、不可視の領域。武術の修錬とは、終わりなきもの、止まざるもの、限界なき領域に入る事であるのです。
死に得ない死の領域、その境界の向こう側、限界を越えたところは、人間の存在する世界ではありません。限界を越えたその時には、それを知るべき《自分》は既に存在していません。それこそが、河野百錬宗家の《古人は「術に終期なし死を以て終りとす」と曰へり、詢に斯の道は、終生全霊傾注の心術なり》(河野百錬著「居合修養の心得」『無雙直傳英信流居合道』)の真諦なのです。
福井聖山宗家の宗家訓《居合道は終生不退、全霊傾注の心術たるを心せよ》(福井虎雄著「宗家訓」『無雙直傳英信流居合道』)、はこの河野宗家の遺教を承けたものだと思います。
話を振り出しに戻します。冒頭の賢治詩についてですが、私は従来、この詩をそれ程重視してはいませんでした。それが、近年、福井宗家の宗家訓、河野宗家の遺著と、宮澤賢治の一連の作品群との関連性に気付きました。宮澤賢治の言葉の中に武術修業の真諦とも言えるものが潜んでいるのです。
この歳になって、よもや文学の世界に回帰するとは夢想だにしていませんでした。文武両道(文武二道)というのは誤りです。文武は不岐、文武は一体にして二つならず、一つです。
まさに、《人生は一炊の夢》、炊きかけた飯がまだ炊きあがっていない……。長い夢から醒めた《盧生》の心境です。
ようやく、人生の折返し点に立つことが出来ました。これから、長い復路が始まります(既に、始まっていますが)。折返し点は通過点にしか過ぎません。
この先の復路の道程は五年か、十年か……二十年、三十年かかるのか、或いは、一年後か、半年か、一日後、明日までか、今日なのかも知れない。時間はたっぷりとあります。しかし、人生の猶予期間は、実は一瞬にして終わるのです。時間は……ありません。
《無常の殺鬼(せっき)一刹那(せつな)の間に貴賎老少を揀(えら)ばず》(『臨済録』[示衆1-3])です。
まさに、今、《刹那生滅》の巌頭に立ち竦んでいる思いです。
それにしても、人生の復路とは、《夢から醒めた夢》のことなのかも知れません。《盧生》の声が聞こえて来ます。
《「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」》(芥川龍之介作「黄粱夢」『芥川龍之介全集』)
(註:《盧生》さんは、芥川龍之介作「黄粱夢」の主人公です。人が生まれてから死ぬまでの、八十年に及ぶ人生の哀歓を嘗め尽くす長い夢から盧生が目覚めた時、昼寝の前に火に掛けた黄粱が未だに粥飯に煮上っていなかった(ほんの束の間の夢だった)というお話で、「邯鄲の枕」という中国の故事を下敷きにした、小説というよりも芥川流の寓話と言うべきものです。)
2.道はどこにあるのか
行きずりの男にこう訊かれた山頭火は、とっさに、
『道はまえにあります、まっすぐにお行きなさい』
と即答しました。
「道は前にある、まっすぐに行こう。——これは私の信念である。この語句を裏書するだけの力量を私は具有していないけれど、この語句が暗示する意義は今でもまちがっていないと信じている。」(種田山頭火『三八九』第六集〔扉の言葉〕〈道〉)
托鉢行脚の僧形で行乞放浪する生活破綻者の俳人というレッテルを貼られている山頭火ですが、残されている膨大な量の散文(日記)には、道元的でありヘーゲル風とも言えるような、哲学初歩的な人生観が溢れています。その基底には《断固、独りで行け》(「法句経」六一、三三〇)という釈迦の求道精神・修行の道があります。
「道は非凡を求むるところになくして、平凡を行ずることにある。漸々修学から一超直入が生まれるのである。飛躍の母胎は沈潜である。人を離れて道はなく、道を離れて人はない。道は前にある、まっすぐに行こう、まっすぐに行こう。」(前掲『三八九』第六集)
道元に私淑し、激烈な宗門批判を行い、旅の歌人西行に傾倒し、釈迦と同じ生き方を貫こうとした良寛の生涯と相通ずるものがあります。
実際、山頭火は、良寛になろうと思ったこともあるようです。しかし、
「芭蕉は芭蕉、良寛は良寛である、芭蕉にならうとしても芭蕉にはなりきれないし、良寛の真似をしたところで初まらない。私は私である、山頭火は山頭火である、芭蕉にならうとも思わないし、また、なれるものでもない、良寛でないものが良寛らしく装ふことは良寛を汚し、同時に自分を害ふ。私は山頭火になりきればよろしいのである、自分を自分の自分として活かせば、それが私の道である。」(種田山頭火『旅日記』〔年頭所感〕)
実は、山頭火の前には、行くべき道などなかったのです。《未来は未だ来たらず、未だない。過去は過ぎ去って、既にない。あるのはただ現在のみ。》(「一夜賢者の偈」より)
前には、何もない。先人が残してくれた未来へと通ずる道など何処にもないのです。将来への展望も見通しもない、あるのは、過去と未来の狭間の只今現在の一瞬だけです。刹那に生成消滅を繰り返す過酷な現在を限界まで生きる、自分になりきり、いかなる場合でも、《自分を自分の自分として》生きる、それが生ということなのです。
無限後退する過去と未来の境界、無と有の接点、生死の臨界点で、生死が逆転するときまで、自己の置かれた《現《《》を不断に生き続ける、それが《まっすぐに行こう、まっすぐに行こう。》ということであり、それを《道》というのです。《人を離れて道はなく、道を離れて人はない。》のです。《道》とは、生死の限界が逆転し無(=死)に帰する時まで続く《修行》のことであるのです。
釈迦が生きた《修行の道》、それが《仏の道》、即ち《仏道》です。その《道=求道精神》を借用して、《武の術》から《武の道》へと昇華したのが、現在の《武道》なのです。
だからこそ『「古人術に終期なし死を以て終りとす」と曰へり、詢に斯の道は、終生全霊傾注の心術なり』(河野百錬『無雙直傳英信流居合道』「居合修養の心得」)なのです。
只、静かに、心ゆくまゝに、技を誇るのでなく、曝け出すのでもなく、鍛錬などという修道者めいた言葉も忘れ果てた境。彷徨えるこの道辺は、そこにあるのですが、見ようとしなければ見えてこない・・・それを《不可視》と言います。道は不可視の中にこそ潜むものなのです。
ますらをの踏みけむ世々のふる道は
荒れにけるかも行く人なしに 良寛